大判例

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大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)3422号 判決

原告

森田毅

外一名

被告

米津常明

主文

被告は原告等に対し各金一〇万円宛を支払え。

原告等その余の請求は棄却する。

訴訟費用はこれを二分してその一を原告等の、その一を被告の負担とする。

この判決は原告等が各金三萬円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告等は「被告は原告等に対し各金二五萬円宛を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」という判決と仮執行の宣言をもとめ、請求原因として次のようにのべた。

「一、原告等は互に夫婦であり訴外亡利博(昭和二三年一二月八日生)は原告等の長男である。

二、昭和二八年二月一〇日午後五時一五分頃原告きみ子は当時四年二月の利博とともに大阪府三島郡富田町の京阪神急行電鉄富田町駅東第一踏切に北より南に向け差かかつたが、電車通過のため遮断機がおりていたので原告きみ子及び利博は道路右端で電車の通過を待ち遮断機があがると同時に踏切を南に向け渡つた。右南北に通ずる道路は幅員約八・八米で踏切を南に渡つた個所で電車線路にそつて西より東に通ずる幅員約一一・六米の道路と丁字形に接しているところ、利博は原告きみ子より先に踏切を渡り右西より東に通ずる道路の右側よりに右折した。

一方被告は大第六―二五三八五号小型三輪自動車を運転して同様前記南北に通ずる道路を北から南に向け進行し来り前記踏切の手前で電車通過を待ち遮断機があがつた後道路中央部を北進して踏切を渡りすぐ右折して西から東に通ずる道路に入つたとき右道路の右端より約二米内側の地点(大阪府三島郡富田町二九番地先)で右前方を西に向つて歩行する利博を車体右側の前方で押倒し、右側後部車輪で轢過した結果利博をして頭蓋底骨折のため即死せしめた。

三、右利博の死亡は全く被告の次のような過失にもとづく。即ち

(1)  自動車は右折しようとするときは、あらかじめその前からできる限り道路の中央によつて交さ点の中心の直近の外側を徐行して廻らなければならない(道路交通取締法一四条二項)にかかわらず、被告は右小廻りをし、しかも徐行しなかつた。

(2)  前記各道路には歩道と車道の区別がないところ、かかる道路においては自動車は歩行者の通行を妨げない範囲内でできる限り道路の左側を通行しなければならない(法三条一項道路交通取締令一二条一項)にかかわらず、被告は道路の右寄りを進行した。

(3)  自動車は見透しのきかない交さ点もしくは曲角等を進行するときは警音器をならし又は掛声その他の合図をして徐行しなければならない(令二六条)にかかわらず、被告は何等かかる合図をしなかつた。

(4)  自動車運転手は車輛検査証に記載した乗車定員又は最大積載量を超えて乗車をさせ又は積載をしてはならない(令三六条二項)にかかわらず、被告は荷物を満載しその上に四人の者を乗せていたから、自由な操縦をなし得なかつた。

四、(1) 原告毅は昭和一六年三月長崎高等商業学校を卒業し、同年四月日立造船株会社に入社し、本件事故当時は本社経理課に勤務していたが、昭和二八年六月以来同社神奈川工場会計課経理係長として勤務しているもの、原告きみ子は昭和一五年三月鹿児島県阿久根高等女学校を卒業し昭和二二年一二月原告等は結婚し、昭和二三年一二月長男利博が、昭和二五年九月二男直樹が出生したものである。

(2) 他方被告は小学校卒業後農業の傍植木商を営み、昭和二〇年一一月頃から古鉄集荷業を営み、大阪市内の問屋を相手として相当大規模な取引をしており、資産として土地家屋田地等を所有し昭和二六年には前記小型三輪自動車を購入し、自宅には電話を架設し倉庫には相当商品を保有し居村有数の資産家である。

五、よつて被告は利博の父母である原告等に対し民法七一一条により損害の賠償をなすべきでありその額は各金五〇萬円宛を相当と考えるが、とりあえず内金としてそれぞれ金二五萬円宛の支払をもとめるため本訴におょんだ。

被告は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」という判決をもとめ、答弁として次のようにのべた。

「一、請求原因一記載の事実は認める。

二、請求原因二記載の事実は衝突の地点を除き認める。衝突地点は西より東に通ずる道路の右端より二・八米内側の地点である。

三、請求原因三記載の事実は争う。本件事故は被告の過失に起因せず専ら被害者利博の保護者たる原告きみ子が保護者として必要な注意義務を怠つたことに起因するものである。即ち

大阪府条例によれば自動車が右折しようとするときは、あらかじめできるだけ道路の中央より交さ点の中心点の内側を徐行して廻らなければならないとされており、被告は右条例の定めるところに従つて右廻りをなし一〇キロの時速で徐行しかつあらかじめ方向指示器により右廻りの合図をなし且警音器も吹鳴した。又本件自動車の許容積載量は五〇〇瓩であるところ当時積んでいた荷物は四〇〇瓩にすぎず、荷物の上に乗せていた四人の者はすべて貨物の積卸に必要な人員であつて道路交通取締令三六条二項但書により許容せられるところである。しかるに被害者利博は当時僅かに四年二月の幼児であつたから保護者たる原告きみ子は充分にこれを保護監督する義務があるにかかわらず、原告きみ子は踏切の遮断機があがるとすぐ利博の手をはなし、利博をしてひとりで先行せしめ、被告が右述のように方向指示器、警音器等によつて右廻りの合図をしたにもかかわらず利博に注意をあたえず漫然放置した過失により本件事故を惹起したものである。

四、請求原因四(1)記載の事実は認める。

同四(2)記載の事実のうち、被告が古鉄集荷業を営むことのみを認めその余は争う。被告の営業は小規模であり、且相当多額の負債がある。

五、仮りに被告に過失があり原告等に対し損害賠賞の義務があるとしても、昭和二八年三月九日原告等との間に示談が成立し同日被告より金五萬円を支払うことにより解決ずみである。即ち

被告は一方事故の当日香典五千円と米一升を霊前にそなえ、葬式に会葬し、事故現場で原告等を招いて慰霊祭を執行し、七日七日の法要にはお供をし、三七日には被告方で原告家親族代表の参列を得て法要を営み、被告家墓地内に被害者の墓標を建立し、その他月命日には被告の家族一同精進料理で潔齊する等弔慰の誠をつくして来たが、他方原告等代理人山口隆三と被告代理人米津進との間で示談交渉を進めた結果昭和二八年三月九日慰藉料五萬円を支払うことによつて示談解決することに話がまとまり同日金五万円を原告等に支払つたものである。

六、仮りに然らずとするも、慰藉料の額を定むるにつき前記三で主張する被害者の保護者たる原告きみ子の過失を斟酌せらるべきである。」

被告の答弁に対し原告等は次は次のようにのべた。

「一、被告は被害者の保護者たる原告きみ子に過失があつたと主張するが争う。

被害者利博は四年二月とはいえ当時三才の弟がありその兄たることを自覚していた関係上非常に落着いた子供であり、常々道路右側通行を充分教えこんであり事故当時も被害者はこれを励行していた。原告きみ子は衝突当時被害者より四・五米はなれた後方より終始被害者を見守つていた。事故直前被告は危いと大声を出したので原告きみ子は被告が被害者を発見して直ちに停車するものと考えていたところ被告は停車せずに進行したため本件事故を惹起したもので、原告きみ子には何等の過失がない。

二、被告主張の示談成立の事実は否認する。

昭和二八年三月九日被告より金五萬円を受領したことは認めるが、右は他日別に慰藉料を支払うから一応納めておいてくれという被告の申出を信じて受領したにすぎない。又被告より香典五千円と米一升のお供をうけたことは認めるが、被告は通夜にも来ず、葬儀の手伝もせず、弔慰の念にかくるところが多いものである。」

(立証省略)

理由

一、原告等が請求原因一、二において主張する事実は衝突の地点を除いて当事者間に争がなく、成立に争のない甲第五号証の一、二によると右衝突地点は西より東に通ずる道路の右端より二・一米内側の地点であることを認めることができる。

二、よつて被害者利博の死亡に対し被告に過失があつたか否かについて考えてみる。

成立に争のない甲第五号証の四、五、七、八、被告及び原告きみ子本人尋問の結果を綜合すると、被告は京阪神急行電鉄富田町駅東第一踏切の遮断機のあがるのを待つて発進し南北に通ずる道路のほぼ中央を南進し踏切を越えた際進路上直前にローラスケートをはいた十五、六才の男の子二名がいるのに気がつき大声で「危い」と叫んでこれを避譲せしめたこと、右踏切通過の際被告は方向指示器をあげ右廻りの合図をし、且警音器を吹鳴したこと、当時道路上には前記男の子二名及び原告きみ子と被害者のほかには通行する者がなく従つて見透しをさえぎるものは何もなかつたにかかわらず、被告は前記男の子二名に気をとられたため前方注視義務を怠り被害者に気づかず漫然右折した結果本件事故を惹起したことを認めることができるから、右事故は被告の右過失によつて生じたものというべく、仮りに後記認定のように被害者の保護者たる原告きみ子にも過失があつたとしても被告は原告等に対し損害賠償の義務をまぬがれないというべきである。

三、被告は右賠償義務は金五萬円を支払うことにより示談により消滅したと主張するからこの点について考えてみる。

昭和二八年三月九日頃原告等が被告より金五萬円の支払をうけたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第五号証の三、四、六、七、証人高牟礼軍蔵、山口隆三、米津進(但し後記信用しない部分を除く)の証言と原告等各本人及び被告本人(但し後記信用しない部分を除く)尋問の結果を綜合すると、同日頃までに原告等代理人山口隆三と被告代理人米津進との間で数回にわたり示談の交渉がなされ右交渉の経過において被告側より金五萬円を支払うから解決してほしい旨申出たが原告側はもつと出してほしいと言つて承諾しなかつたこと、昭和二八年三月九日被告は他日更に慰藉料を支払うからとりあえず慰藉料の内金として金五萬円を受取り、そのかわり検察庁に提出すべき示談書を書いてほしい旨申出た結果原告等もこれを承諾して右五萬円を受取つたこと、その後被告は示談書を書くことを原告等に要求したところ、その記載文言に関して意見が衝突したため示談書作成にいたらなかつたことを認めることができ、証人米津進、根来正明の証言及び被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できない。

したがつて被告の示談解決ずみの抗弁は採用できない。

四、よつて進んで損害額について審究するに、原告等の経歴、職業、家族関係が請求原因四の(1)において原告等が主張するとおりであることは被告の認めるところであり、原告家においてはその後三男が出生したことは原告毅本人尋問の結果によりこれを認めることができ、成立に争のない甲第四号証、第五号証の六、八、証人米津進、根来正明の証言と被告本人尋問の結果を綜合すると、被告は小学校卒業後植木商を営み昭和二六年頃より屑物商を兼業し収入一ケ月二萬円余で、現に居住する家屋を所有し、電話一本及び本件事故当時乗つていた自動三輪車を所有するほか他に財産がなく、家族は母、妻、長女、次女、長男、弟との七人家族で弟進は現に中学校教員であること、被告は本件事故発生後香典五千円と米一斗を原告等に贈り、事故現場で施餓鬼を施行し、且被告方で被害者のために法要を営んだこと等が認められ、これらの事実と本件事故の態様とを綜合すれば原告等に対する慰藉料の額は各自金二〇萬円をもつて相当とする。

五、被告は本件事故については被害者の保護者たる原告きみ子にも過失があつた旨主張するのでこの点について考えてみる。

成立に争のない甲第五号証の四、五、七、八、原告きみ子(但し後記信用しない部分を除く)及び被告各本人尋問の結果を綜合すると、原告きみ子は踏切の手前で電車の通過を待つている時まで被害者利博の手を握つていたが遮断機があがつてからはその手をはなし同人をして先行せしめたため、利博は商店でもらつた広告用風船をあげながらひとりで小走りに踏切をわたり西より東に通ずる道路え右折したこと、その間被告操縦の自動車が原告きみ子の左側からこれを追抜き踏切をこえたところで方向指示器をあげて右廻りの合図をなし、且警音器を吹鳴したにかかわらず原告きみ子は利博に対して何等注意をあたえず、六、七米後方にあつて漫然利博を見守るにすぎなかつたことを認めることができるから(原告きみ子本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用しない)本件事故については原告きみ子にも亦過失があつたものというべきである。

六、よつて原告きみ子の右過失を斟酌し、且被告が原告等に損害賠償の内金として支払ずみの各金二萬五千円宛を控除した上、被告の原告等に対し支払うべき損害賠償額は各自金一〇萬円宛を相当と認める。

七、よつて原告等の請求は右の限度においてこれを認容しその余は棄却すべく、民事訴訟法八九条九二条一九六条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 山田鷹夫)

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